マラソン42.195㎞完走への道①『夜明け前』

RUNNER

 

個人的には、大河ドラマは好きでだいたいずっと見てます。

『西郷どん』も最後は微妙でしたが、それなりに楽しめたかなと・・・

そして、昨年の大河ドラマ『西郷どん』から今年の大河『いだてん』へ・・・

 

足がクルクル回るのが、結構、キモイ(笑)

 

時代劇から現代劇ということで取っつきにくい人もいるでしょうね。

2020年・東京オリンピック招致に成功し、来年に迫った今年あわせた大河。

1964年・東京オリンピック実現までの半世紀を

❝日本で初めてオリンピックに参加した男❞

金栗四三と

❝日本にオリンピックを招致した男❞

田畑政治

を中心に描かれていく物語・・・

楽しみですね…

 

オリンピック

 

今では、当たり前のよう4年に一度開催されている。

冬季も合わせれば2年に一度はサイクル的にやってくる。

しかし、当時はスポーツという言葉すら知られていない時代。初めての派遣選手をどう選ぶか。

そんなとこから物語はじまってました。

なんでも始まりがあることを知るとともに

困難な決断と実行を繰り返してきたことが予想されますね。

 

はじまりは大体困難なことが多い・・・

そして、最初に派遣された金栗四三。

マラソン選手である。

予選会に出場したとき、当時の世界記録を27分も上回る記録を出したそうだが、

オリンピックでは結果が出なかった。

初めてのことだらけで要するに失敗したことが多々あった。

❝マラソンの父❞と呼ばれ、日本の陸上界に大いに貢献されたとのこと・・・

人生は簡単ではないが、その過程は素晴らしい経験として積み重ねられている。

 

今でこそ、誰でもマラソンを楽しんだり、挑戦したりとスポーツの一つとして、

確立しているのも積み重ねられたことによる恩恵なのでしょう。

マラトンの戦い

 

マラソンは、42.195㎞走る競技だということはほぼ誰でも知っている。

紀元前490年9月12日は、古代ギリシア連合軍vsアケメネス朝ペルシア軍の戦争における「マラトンの戦い」があった日です。

ギリシア軍の中心になったのは、ペルシア軍が上陸した地点に近いプラタイアという町でした。
これにギリシア最大の都市国家・アテナイも加わり、戦いの火蓋が切って落とされます。

ペルシア軍はマラトンという土地に上陸し、軽装歩兵・重装歩兵・騎兵という陸戦のセオリー部隊を配置していました。
軽装歩兵は主に投げ槍や弓などの中・遠距離武器の兵で、敵を少しずつ減らす役目を持っています。
重装歩兵は盾や槍で装備を固めた近接線専門の兵士です。主戦力と考えてもいいでしょう。
騎兵はいわずもがな、馬に乗った兵です。直接戦うほかにも、機動力を生かして偵察や伝令の役目も果たしました。

もちろんそれぞれ得意不得意があります。そこで、異なる兵種が互いの不得意な面を補いあうことによって、強い軍になるというわけです。

ペルシア軍の総勢は多くて2万程度だったといわれています。
対するギリシア連合軍は1万弱ほど。単純に戦力は約1/2です。
しかも総指揮官は交代制で、10人の将軍が日替わりで指揮を取ることになっていました。嫌なフラグがビンビンですね。

しかしこの10人の中に、とても優秀かつ勇敢な指揮官がいました。

指揮官とは、アテナイのミルティアデスという人です。彼は自分の番になると、早速開戦の仕度を始めました。

そして、ギリシア連合軍のほぼ全てを重装歩兵にし、ペルシア軍の陣が薄いところをピンポイントに狙って総攻撃をかけたのです。
このとき「約1.5kmを一気に駆け抜けて、意表をついた」とかいないとか。「途中までゆっくり進んでいきなり走り出し、ペルシア軍の度肝を抜いた」、あるいは「ペルシア軍の行軍中に襲い掛かった」という説もあります。
いかんせん紀元前の話ですから、記録がはっきりしないのも無理はありません。

何はともあれ、捨て身に等しい突撃により優位になったギリシア連合軍は、終始優位に戦闘を進めました。
それは両軍の死者数にも現れています。ギリシア軍の死者が200人ほどだったのに対し、ペルシア軍は6400人もの犠牲が出たそうです。
もはや比べるべくもないというか、現代の基準だと立派に「全滅」です。

ちなみにこの間、これまた有名なギリシア都市国家のひとつ・スパルタの軍が2000人ほど来る予定だったのですが、着いたときには既に戦闘が終わった後だったとか。残念(´・ω・`)

まあそれはともかく、倍の人数を見事追い返したわけですから、ギリシア連合軍の士気は有頂天でした。
そしてその中に、エウクレスという兵士がいました。
彼は喜び勇んでという言葉が生ぬるいくらいに狂喜乱舞し、マラトンからアテナイまで重装備のまま駆け抜け、「勝ったどーーーーーー!!!!」(※イメージです)と叫んで絶命したといいます。
ちなみに、マラトン〜アテナイ間は現代の道路でも46kmほどあります。体力ありすぎ恐ろしい。

これが陸上競技の「マラソン」の原型になったといわれている出来事です。
フルマラソンが現在の42.195kmという中途半端な距離になったのは、近代オリンピックが始まってから諸々の大人の事情で調整されたのだとか。

この話が本当なのか、また兵士の名前はエウクレスではなくフィリッピデスだとかいろいろ説はありますけれども、当時のギリシアの人々がどれほど喜んだかがよくわかる逸話ですね。

しかしその喜びはつかの間のことでした。
ペルシアとの戦争はその後40年続き、一時はアテナイもペルシアに占領されたことがあるほど激戦を極めています。
最終的にはペルシアの王様が暗殺されたことにより、和解が成立するのですが……。

しかし、重装備のまま46キロを走り続けて死亡って、おい・・・(笑)

『夜明け前』

話は戻りますが、『いだてん』第一話最後に派遣選手選考会で金栗三四が

トップで戻ってきた。

時代を切り開き、紡がれた数々の歴史が語られるのは、その時その時に

まだ見ぬ世界への扉を開ける人がいたからですね・・・

パッションを感じずにはいられない。

自分のような弱い人間でも立ち上がるきっかけにしたい。

チャレンジを繰り返して、いつか昇る太陽を見るために・・・

 

2019.3.30 「なにわ淀川フルマラソン」

ここをスタートに設定!!

時はもう動き続けている・・・

『決してあきらめずに前へ進みたい』

まだまだ、暗闇の中だが、確かな一歩を踏み出した‼

なにわ淀川フルマラソンまで

あと53日・・・

いまだ夜明け前・・・

 

 

 

 

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